Mag-log in放課後の図書室。窓の外では夕陽に照らされた木々が、赤や黄金の葉を散らしていた。静かな空間の中、俺と氷室は並んで机に向かっていた。今日の課題に手こずっていた俺が、思わずメッセージで愚痴ったら、氷室は生徒会の仕事を手早く終わらせて、こうして付き合ってくれている。 机の上に灯る読書灯のあたたかい光が、俺たちの距離の近さをほんのりと照らした。「葉月が躓いてるここな。この問題は、こうやって考えるといい」 氷室の指先が教科書を指し示した、そのときだった。 図書室の入り口から、軽い足音とともに健ちゃんが現れた。開いた扉から流れ込む冷たい秋風が、一瞬だけ紙をめくった。健ちゃんはその余韻をまとい、ゆっくりと歩み寄る。「なんだ、ふたりして暇そうだな。奏、暇つぶしに付き合ってやってもいいぞ」 その言葉には、どこか含みがあった。氷室が眉をひそめ、明らかに不快な表情を浮かべる。健ちゃんはそんな空気をものともせず、俺の前に立ち止まり視線を向けてきた。 その視線は懐かしさよりも優越感が混じっていることが明白で、イヤな感じで胸の奥がざわつく。「神崎……見てわかるだろ。葉月のことは俺が見ている。神崎の出番はない」 氷室の静かな声が、漂っている空気をピンと張らせた。しかし健ちゃんはまるでそれを無視するかのように、一歩踏み出した。そして――あまりにも唐突に、こんなことを口にした。「なぁ奏。氷室の隣に立つのに、本当に似合うのは誰だと思う? 実際はさ……俺じゃないか?」 息が止まった。まるで時間が止まったかのように、世界の音が消える。「……健ちゃん、それ……どういう意味?」 やっとの思いで絞り出した声に、健ちゃんはあざ笑いながら言った。「見た目もよくて、頭もいい生徒会長の隣に似合うのは、俺みたいなタイプだってこと。ドジばっかの奏より、ずっとしっくりくるだろう?」 その言葉が、鋭く胸を突き刺した。(ドジばかりして頭もよくない俺は……蓮の隣にいちゃダメなのか?) 鼻の奥がツンとし、込み上げる涙を必死になって堪える。健ちゃんから顔を逸らして俯くと、目の前がじわりと滲んで、教科書の文字がぼやけて見えた。そんな俺の肩に、そっと触れる手があった。 氷室の大きな手だった。 そして彼は静かに、だけど確かな怒気を込めて言った。「神崎、俺は自信過剰なヤツが嫌いだ。だがそれ以上に……俺
文化祭が終わって、もうすぐ一ヶ月が経とうとしている。教室の窓の外では、秋風に舞う落ち葉がちらちらと過ぎていく。 ホワイトボードに貼られている文化祭の写真を片付けるように、担任が日直の俺が指名したので、楽しそうな顔をしたクラスメイトの写真を眺めつつ、一枚一枚丁寧に剥がしていたそのとき、背後から低く響く声が耳に届く。「奏、久しぶりだな」 「――健ちゃん?」 聞き覚えのある声に振り向くと、そこには中学の頃と同じ笑顔で立つ神崎健司がいた。髪のセットは変わっていないし、彼の持っている雰囲気も多少成長しているけれど、あの頃のままの“健ちゃん”だった。「健ちゃん、なんでここに……?」 愕然として声が震える。有朋学園に入学してから、成績の悪い俺に関わろうとしなかった健ちゃん。そんな彼がわざわざ俺のクラスに現れ、声をかけてくるなんて。 健ちゃんは口元に笑みを浮かべた。けれどその笑みは、懐かしいはずなのにどこか棘を含んでいて、胸の奥に冷たいざわめきを落とした。「俺も生徒会役員だって知ってた? 氷室とは合同委員会に……それはそうと文化祭、成功していたな」 彼の物言いと注がれる視線に、違和感を覚える。まるで「俺のことを羨ましいと思ってないか?」と試すような物言いだった。 胸の奥で冷たいなにかが、ゆっくりと回転するような感覚が走る。 小学生のあの頃、どこかで感じていた健ちゃんの“優しさの裏の優越感”——それが今、言葉になって目の前に現れた気がした。その現実に触れた瞬間、逃げ出したくなるような不安が胸に押し寄せてくる。「……健ちゃん、どうして、あのとき俺を中学受験に誘ったの?」 声が僅かに震える。問いかけの奥には、信じていたものを裏切られた痛みが滲んでいた。 健ちゃんは眉を少し上げて、睨むような視線を俺に返す。「ははっ、理由? 別に深い意味なんてないさ。ただ、見てみたかったんだよ。ドジでバカな奏が、優秀な俺より上に行く姿を……本当に、そんなことがあるのかってな。実際中学受験に合格しても、ここでの奏の成績は、俺よりもうんと下だったけど」 その瞬間、過去に積み上げた“信頼”という名の積み木が、音を立てて崩れ落ちるのがわかった。優しさの裏に隠された競争心と独占欲。当時、小学生だった俺にはわからなかった“歪んだ想い”が今、胸に深く突き刺さる。 そのとき、教室の扉が
*** あたたかみを感じる夕暮れの光が街を包み込み、ビルの影が長く伸びていく。落ち葉をさらう風がひんやりと頬を撫でても、隣を歩く氷室のぬくもりが不思議と心を落ち着かせた。そのおかげで、いつもの学校帰りよりも帰り道はずっと静かに感じる。「蓮、今日は誘ってくれてありがとう。すごく楽しかった」 言葉にすると、胸の奥がなんとも言えずほっこりする。それを受けた氷室は、ふわりとほほ笑みながら応えた。「奏が笑ってくれたのが、俺には一番嬉しかったよ」 その言葉の優しさが、じわっと身に沁みる。しばらく沈黙が続いたあと、俺は少しだけ勇気を出して口を開いた。「蓮……次の約束は、俺から誘ってもいい? 楽しみにしててよ」 氷室は静かに頷いてから、最初は躊躇う感じを見せていたけれど、そこから意を決して俺の手に触れた。利き手を包むその手のひらは少しひんやりしていて――まるで氷室自身から、俺にぬくもりを分けてもらっているみたいだった。「奏、俺を誘うときは予定をちゃんと確認してから、場所を決めろよ?」 大事なときにドジをする俺を慮ったセリフに、ちょっとだけ笑ってみせた。「そ、そうだな。氷室って……いや、蓮って、生徒会もあるし塾も掛け持ちしてるし、めっちゃ忙しいもんな」 思わず“氷室”と呼びかけて、慌てて“蓮”に言い直す。まだ名前呼びには慣れないけれど、それがちょっとくすぐったくて、やけに嬉しくて。 そのことを妙に意識してニヤけてしまった俺に、氷室はつないだ手をぎゅっと握りしめながら告げる。「それでも……奏とデートができる日くらい、なんとか時間は作るつもりだ」 「あっ……で、デートって……!」(言われてみれば今日って、まさに“デート”だよな……!)「はわわわっ!」 「なにを今さら、そんなに慌てふためいているんだ」 「やっ、なんかそういう実感が全然なくて。ただ蓮とこうしてるだけで、嬉しくて堪らなかったし」 思わず変な声が出た俺の挙動に、氷室は肩を竦めて笑いながら、俺の手をさらに強く握ってくれた。「奏って、ほんと無意識で爆弾を投げてくるよな」 「なに言ってるんだよ。俺は投げてないし!」 「……だから“無意識”って言ったんだ。照れるだろ、まったく……」 どこか恥ずかしそうに顔を逸らす氷室の頬が、少し赤くなっていた。「ふふっ、蓮ってば、かわいいな」 「かわい
*** お互い、まだぎこちない名前呼びに照れながら向かった先は、駅近くの映画館。日曜の街に溶け込むように歩く中、歩道の並木からは赤や黄色の葉がひらひらと舞い降りてくる。氷室はさりげなく、背の低い俺の歩幅に合わせてくれた。落ち葉の影をふたりで踏みしめる音が、やけに心に残った。 カウンターでチケットを受け取り、ロビーのざわめきを抜けてスクリーン前へ。ふたりで選んだのは「全米が泣いた」という触れ込みの感動作だった。 座席に並んで腰を下ろすと、氷室がそっと肘掛けを譲るように寄せる。ほんの小さなさりげない気遣いが、胸の奥にじんわりと沁み込んでいった。 照明が落ちて、スクリーンに映像が流れはじめると、ふと文化祭のあの日を思い出す。(――あのときもふたり並んで、ステージ上の大型スクリーンを見たっけ) 俺がアイデアを出してから、氷室と準備に奔走した日々と、本番を終えたあとの達成感。あのとき感じた「一緒にやり遂げた」という誇りが、普段ドジばかりやらかす俺に、勇気を与えてくれた。氷室に想いを告げるその一歩を踏み出せたのは、間違いなくあの瞬間があったからだ。 物語が静かに進んでいく中、何気なく横を見ると、氷室がスクリーンではなく俺の顔を見ていた。そのまっすぐな視線に、思わず息を飲む。「……奏」 薄暗がりの中で、氷室の唇が確かにそう動いた気がした。「……蓮」 俺もそっと、名前を呼び返す。次の瞬間、どちらからともなく肘掛けの上で手が触れ合い、ゆっくり重なった。それはあたたかくて、すごく優しくて。指先が少しだけ震えているのを感じて、相手も同じように緊張しているんだとわかって――胸の奥がさらに熱くなった。言葉はなくても、それだけで充分だった。 ふたりでほほ笑み合い、またスクリーンへと視線を戻す。手のぬくもりを感じながら、心地よく映画を楽しんだ。 上映が終わっても、まだ時間はたっぷりあった。帰るには早すぎる――そんな気持ちが通じ合ったのか、自然と足はカフェへと向かった。 少し遅めの昼食。白いテーブルを挟んで向かい合いながら、ほっと一息ついた。氷室が差し出してくれたカップからは、ほんのりと紅茶の香りが立ちのぼる。 手に取って、そっと一口。「……蓮、美味しいね」 そう言うと氷室は照れたように、けれどどこか嬉しそうに頷いた。交わす言葉は少ないけれど、その一つひとつが
日曜日の朝。うっすら曇った空の下、駅前にはひんやりとした風が吹いていた。街路樹のイチョウは昨日よりも落ちていて、舞い落ちたたくさんの葉が足元に転がっていく。 秋が深まる気配に包まれながら、俺は胸の鼓動ばかり気にしていた。待ち合わせ時刻の九時半が近づく中、そわそわしながら、駅前にあるモニュメントの前に突っ立っていた。(てっきり、時間厳守の氷室が先に来てると思ったのに、俺が待つ側になるなんて……それってなんか新鮮だけど、めちゃくちゃ緊張するじゃないか!) 手にしたスマホを何度も見直しながら、指先の微かな震えに気づいてしまう。そのたびに髪を直したり、服の裾を引っ張って整えたりして、どうにも落ち着かない。 どうせ、氷室みたいにキマらないってわかってるのに、それでも今日は、少しでもよく見られたかった。「……ああ靴も、もうちょっとマシなのにしてくればよかったかも」 履き慣れたスニーカーの汚れを気にした、そのとき。背後から静かな足音が近づき、思わず振り返る。「──おはよう、か、奏……」 そこには、少しカジュアルな服装の氷室が立っていた。グレーのシャツに、羽織ったジャケットがよく似合っている。その表情には、僅かな照れと期待が入り混じっていて、見慣れた“完璧”とは違う柔らかさがあった。(おいおい、ちょっと待ってくれよ。制服姿とはまた違う、格好よさが氷室から漂っているだけじゃなく――)「おはよう、氷室……あのさ、今、俺の名前――」 いつもは「葉月」と名字で呼んでいたのに、いきなりの“奏”呼びに心臓が一瞬で跳ねた。「ふたりきりのときは、名前で呼んでもいいかと思ったんだ。もしかして……嫌だったか?」 少しだけ視線を外して言ったその声に、俺は即座に首を横に振った。「全然イヤじゃない! ちょっとビックリしただけだから!」 友達に名前を呼ばれるのと、氷室に呼ばれるのとじゃ、響きがまるで違う。ものすごく特別に感じることができた上に照れすぎて、パニック寸前だった。「だから奏も、俺のことを名前で呼んでほしい」 不意打ちみたいなお願いをされてしまい、頭の中が発狂しそうになる。(しかも、ちょっと上目遣いなんてされたら——絶対に逃げ場がないだろ……)「えっ……れ、蓮……っ?」 声が裏返りそうになるのを必死で抑えて、ようやく出てきたそのひと言に、氷室はふっと笑った。
文化祭が終わって、一週間ほどが過ぎたある朝。教室はすっかり日常を取り戻していたけれど、ホワイトボードの上に残された文化祭の準備をしている様子の写真と、本番で笑顔を見せるクラスメイトの写真が、あの特別な時間を静かに思い出させてくれる。 いつものように席に着いて、ペンケースを開けたとき。見慣れた筆跡の小さな付箋が目に留まった。【葉月、ドジするなよ。今日もファイトだ。ずっと応援してる 氷室】 それを読んだ瞬間、胸の奥がじんわりとあたたかくなる。たったひと言なのに、それだけで少し背中が軽くなった気がした。 昼休み、今日も俺のクラスで氷室と並んで弁当を食べていたら、林田がニヤニヤしながら近づいてきた。「奏、最近さ、なんか雰囲気が変わったよな」 「えっ、なんで?」 「顔、ちょっと照れてるっていうか……なんかしあわせそうっていうかさ」 その言葉にドキッとしてしまい、ごまかそうとしてお茶を飲んだのに、タイミング悪くむせてしまう。林田は笑いながら、背中を軽く叩いてきた。「おいおい、大丈夫か?」 「だ、大丈夫……。でも、しあわせそうっていうのは、あながち間違ってないかも」 口元を拭きながら、氷室に視線を送る。彼は驚いたように目を見開き、それから慌てて横を向いた。その耳が赤く染まっているのがちらりと見えて、思わず笑みがこぼれた。 放課後。生徒会の会議がある氷室を待ちながら、校庭のベンチでスマホをいじっていた。空がだんだん金色に染まって、街路樹のイチョウが夕陽に透けて揺れている。秋が深まるたびに、俺たちの時間も新しく色づいていく気がした。「氷室、まだかな……」 小さくぼやいた瞬間、隣にすっと誰かが座る気配がした。「うわっ、びっくりした!」 「待たせたな。遅くなってすまない」 「い、いや、全然大丈夫……」 不意に距離が近づいたことに、心臓が跳ね上がる。顔が熱くなるのを感じて、慌てて俯いた。「葉月、あのさ……映画、見に行かないか?」 「え、映画?」 「来週の日曜。もし予定が空いてたら、一緒にどうかと思って」 その声はどこか緊張をはらんでいたけれど、でも優しかった。秋風がふたりの間をくすぐるように、ふんわりと吹き抜ける。「映画か……いいね。それってつまり、“ふたりだけの約束”ってやつ?」 小さく笑って言うと、氷室も少し照れながら頷いた。「ああ







